←↑→ 日本語の曜日の名称はどうやって付いたのでしょう?(長文)

日本語の曜日の名称が付けられた流れは大雑把に書くと、こういうことに
なります。

 中国五行説発生→五行と五惑星の対応成立−−+
                      ↓
 エジプトで七惑星と−−→中国に輸入−−宿曜経作成時に−→日本に
  曜日の対応成立           日月火水木金土  直輸入
                    が成立

これは簡単に説明するのは困難で、ひじょうに長い話になりますが、上記
の流れを見ながら、読んで下さい。

エジプトではナイルの洪水の時期を知る必要性から、早くから暦と天文学
が発達しました。その時、学者の興味を引いたのは大きく光り輝く太陽と
月、そして不可思議な動きをする水星・金星・火星・木星・土星の5つの
星でした。(この5つを惑星というのですが、便宜上太陽・月を加えたも
のも7惑星と呼びます)

このエジプトと同時期に文明が発達したメソポタミアでも暦が作られます
が、ここでは「月」という単位が重視されます。しかし「月」は30日も
あるため長すぎて日常の尺度としては不便でした。そこでそれを4分割し
て、新月から上弦まで、上弦から満月まで、満月から下弦まで、下弦から
新月まで、という1月の4分の1の長さが考案されますが、長い間にこれ
が形式化して、単純に7日間の周期が繰り返される単位「週」が発生しま
した。

この「週」の概念はやがて隣のエジプトにも導入されます。するとこの
エジプトで「週」の7日間と7惑星が同じ「7個のもの」ということで
関連づけて考えられるようになります。その時、この対応は次のようにし
て付けられました。(カシウスの説です)

この7つの天体は当時、地球から遠い順に並べると、土星・木星・火星・
太陽・金星・水星・月の順だと考えられていました。そこで週の第一日を
司るのは最も遠い土星とされ、その土星が第一日の第1時を支配すると考
えました。そしてその後は各時を順に各惑星が支配すると考えたのです。

すると、第2時は木星、第3時は火星、....となっていき第一日の第24
時は火星が支配することになりますので、第二日の第1時は太陽の支配に
なります。よって第二日自体も太陽が支配すると考えます。

この考え方で進んでいくと、週の各日の第1時を支配する惑星は、次のよ
うになります。

  第一日第1時 土星
  第二日第1時 太陽
  第三日第1時 月
  第四日第1時 火星
  第五日第1時 水星
  第六日第1時 木星
  第七日第1時 金星

ここから週の各日の名称が来たという訳です。

その後、エジプトからモーゼに率いられて脱出したユダヤ人たちは、自分
たちを酷使したエジプト人への憎しみから、エジプト人が重視していた第
一日をわざと週の最後に追いやり、日曜日から始めるシステムに改変しま
した。そこで現在西洋では日曜日が週の始まりとされています。

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さて、話は今度は中国に飛びます。

中国では古代に五行説というものが生まれました。この世界のありとあら
ゆる現象を5つの「行」木・火・土・金・水に分類して説明しようという
ものです。

ところで中国でもやはり黄河の管理の必要性から暦が発達し天文学も発達
する訳ですが、やはりエジプトやメソポタミアと同様、5惑星に注目しま
す。エジプトの人たちはこれに太陽・月を加えた7惑星で考えたのですが
中国では五行説を背景として、太陽・月は除外して、5惑星を五行に配当
しました。五行説と結びつく以前の名称で書けばこうなります。

   木・・・歳星
   火・・・螢惑
   土・・・鎮星
   金・・・太白
   水・・・辰星

(基本的に中国は5の文化、メソポタミアは7の文化、そしてインドは
 9の文化です)

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さて、いよいよ話は核心に入ります。

インドから中国に帰化したお坊さんで、不空という人がいます。彼はイン
ドでさかんにおこなわれていた宿曜(月の運動に関する理論)に関する知識
を整理して、宿曜経という文献を作りました。このとき、不空はサンスク
リット・中国語混じりのことばで口述し、弟子の中国僧・史瑶が中国語で
書き取って、文書化するという作業を行なったといわれます。

その時、不空はインド西部の僧から教えてもらったという七曜のことをこ
の宿曜経の中に入れました。西部といいますので、恐らくはメソボタミア
・エジプト文化圏の影響を受けた人から伝えられたものだと思います。

そして、日・月・火・水・木・金・土、という日本で使用されている七曜
の名称は、この宿曜経の中に、曜日と惑星との対応として初めて登場する
のです。宿曜経では曜日の名称をいくつかの言語で記した後、「向こう」
での曜日と惑星の対応からして、中国で対応するものとしてはこうだろう
ということで、この名称が出てきます。

この宿曜経が成立してからわずか40年後、日本の若き僧が中国に渡り、
ほんの2年ほどの滞在期間のうちに、中国で入手できる、ありとあらゆる
仏教関係の文献を膨大な費用を掛けて収集し、膨大な数の仏具を集めて、
日本に持ち帰ります。その人はのちに弘法大師と呼ばれるようになる空海
でした。

彼が日本に持ち帰った経典の数はそれまで日本に存在していた経典の数を
遙かに上回るものでした。そしてその経典の中にこの宿曜経もありました。

この宿曜経に興味を示したのが当時の陰陽寮(現在の国立天文台のような
もの)の人々でした。彼らはその中に記されたいろいろな天体周期を自分
たちが編纂する暦の中に取り込みました。そして、ここでとうとう七曜が
日本の暦に登場する訳です。その時に曜日の名称として、宿曜経に記され
ていた、中国式の惑星名称を転用したものと思われます。

そして、この七曜の配当はその後1000年間、一度も計算間違いされること
なく明治時代まで続き、再び西洋文明と出会います。そして今日に至って
います。

そういう訳で、現在の日本の曜日の日月火水木金土の名称を作ったのは
不空・史瑶の師弟で、それを空海が日本に輸入し、当時の陰陽寮の誰かが
暦に取り入れたものと思われます。そして曜日と惑星の対応を作ったのは
古代エジプトの人々、惑星と五行の対応を作ったのは古代中国の人々です。

なお、中国では空海が中国に渡った頃以降仏教が衰微してしまいますので
この形式の曜日名称は使用されず、現在の中国での曜日の名称は天一二三
四五六となっています。



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