←↑→ 一週間というのはどうやってできたのでしょう?

一週間という周期に関しては、多くの意見としては、やはり月を4分割
したものであろう、ということです。

古来より基本的に月の満ち欠けというのは日数の経過を図る非常によい目安
とされたのですが、朔望月は平均して29.5日という非常に長いもので、大き
な数の取り扱いに慣れていない民衆にとっては、少々使いづらい単位でした。
その時、新月から上弦へ、上弦から満月へ、満月から下弦へ、下弦から新月へ、
という期間を考えると、これが各々約7日になります。そこでこの7日と
いう単位が生まれたのであろう、と考えられています。

歴史的には聖書に出てくる「神が7日間で世界を作った」という記述が
有名で、ここからユダヤ教徒→キリスト教徒は一週間を重視する訳ですが
この聖書の記述は、カルデアで週というものが運用されていたことから
お隣のユダヤでも影響されて生まれたと、宗教に中立的な研究者は推測して
います。そしてなぜカルデアで7日間という周期が生まれたのか?という
ことについてはやはり、上記の、月の4分割説が浮上する、という訳です。

聖書が整備されたのは紀元前6世紀、ユダヤが新バビロニア(カルデア)に
占領されたいわゆるバビロン捕囚の時代です。国がなくなってしまった
からこそ、宗教として結束しようという機運が高まった訳ですね。一方、
古バビロニアではBC1728-1686の有名なハムラビ王の時代に、既に上弦・
満月・下弦・晦日をお祭りする風習があり、当時既に7という数字を神聖視
していた形跡があるようです。

(なお、カルデアではきちんと月の動きを把握して太陰暦の7日,14日,21
  日,28日を休日にしていたのが、ユダヤではそういう月の動きの計算が
  できなかったため、単純に7日で繰り返す周期を作ってしまったという
  説もあります。新月というのは月が見えないので^^; 天体の位置計算
  ができない民族にとっては、非常に扱いづらい指標です。そのため
  太陰暦を運用していた民族の中には満月を月初とした所もかなりあっ
  たようです。ただし一般には近くの文明圏の影響で新月月初に移行して
  いっています....こういった非文化圏の話は文献に残っていないので
  研究者の頭の中でもたぶんに推測あるいは想像の部分が多いですが)

日本に週が入ってきたのは平安時代の初期です。弘法大師・空海が中国
からもってきた大量の経典の中に、中国で書かれた宿曜経というものが
あり、その中で西方の風習として七曜が紹介されていました。そこで
日本では西方のローマ風の七曜の名称がインド・中国をすっ飛ばして
いきなり導入されました。その後日本の暦の上での七曜は、一度も計算
間違いでズレたりすることもなく明治時代に西洋文明と接触するまで、
きちんと維持されていました。日本の暦制作者も大したものです。

なお、月を4分割したメソポタミアに対して、古代中国では三分割した
「旬」がかなり古くから使用されていたようです。




(C)copyright ffortune.net 1995-2013 produced by ffortune and Lumi.
お問い合わせはこちらから