←↑→ 日月火水木金土の七曜はいつ頃から日本で使われたのでしょうか?

七曜が日本にもたらされたのは平安初期の頃で、その頃からずっと1度も
間違ってずれたりすることなく、続いています。しかし昔はあまり注目さ
れておらず、一般に普及したのは明治以降です。

これは明治時代に外国の企業が入ってきて、休みの取り方が外国人と日本
人で違うと混乱をきたすため、外国企業の訴えにより政府主導で一週間と
いうシステムが日本でも導入されました。(明治9年3月12日太政官達27号)

しかし実際に外国企業以外の日本のすみずみまでこのシステムが行き渡る
のは、昭和初期の戦争に伴う国民大団結運動の時と思われます。

曜日の名称については、一般にローマのカシウス(150-235)の説明が知ら
れています。すなわち、この名称は太陽・月および古くから知られていた
5惑星から来ているものですが、この7つの天体は地球から遠い順に並べ
ると、土星・木星・火星・太陽・金星・水星・月の順だと古代(カシウス
から見ての古代)には考えられていました。そこで週の第一日を司るのは
最も遠い土星とされ、その土星が第一日の第1時を支配すると考えました。

その後、各惑星は第2時を木星、第3時を火星、....といくと第一日の第
24時は火星が支配することになりますので、第二日の第1時は太陽の支
配になります。よって第二日自体も太陽が支配すると考えます。

この考え方で進んでいくと、週の各日の第1時を支配する惑星は、次のよ
うになります。

  第一日第1時 土星
  第二日第1時 太陽
  第三日第1時 月
  第四日第1時 火星
  第五日第1時 水星
  第六日第1時 木星
  第七日第1時 金星

ここから週の各日の名称が来たというのがカシウスの説明です。このシス
テムはエジプトに始まり、やがてエジプトからモーゼに率いられて脱出し
たユダヤ人たちが、自分たちを酷使したエジプト人への憎しみから、エジ
プト人が重視していた第一日をわざと週の最後に追いやり、日曜日から始
めるシステムに改変したと言われています。(本当はメソポタミア起源だ
と私は考えています。それがエジプトに伝わったものでしょう。)

日本の曜日名は平安時代初頭の弘法大師が密教とともに持ち込んだ宿曜経
に記されているものに基づいています。中国方式を輸入したものではあり
ません。中国では曜日の名前は 天一二三四五六 です。

また、陰陽五行説と曜日の名前は直接の関係はないですが、天に5惑星が
あれば、五行説の信奉者としてはこれを五行に当てはめたくなります。初
期には色々な対応の流儀があったかも知れませんが、いつしか(当然宿曜
教が中国に持ち込まれる前ですが)現在の対応が定着したものと思われま
す。つまり日本の曜日の名称は次のようにして成立したと考えられます。

 中国五行説発生→五行と五惑星の対応成立−−−−−−−−−+
                             ↓
 エジプトで七惑星と→インドの宿曜術に影響→中国に輸入→翻訳時に
  曜日の対応成立                  日月火水木金土
                            が成立

従って、曜日名「日月火水木金土」を発案したのは、宿曜経を翻訳した人、
つまり不空とその弟子史瑶であるということになるかと思います。(基本
的には、不空がサンスクリット語・中国語混じりで口述するものを史瑶が
中国語で書き取っていったとされます。この名称について師弟でいろいろ
話し合ったかも知れません。)

なお、平安時代から江戸時代まで日曜日は「蜜」とも呼ばれていました。
密教の「蜜」でもありますが、語源はソグド語の日曜日「ミール」です。
そのことについても宿曜経に記されています。




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